2013年04月04日

輪獄(りんごく) 短編

  輪獄(りんごく)

     9
 9という数字がなんの前ぶれもなく、視覚、聴覚、触覚などを凌駕(りょうが)する存在感でもってワタシの前に姿を現した。
 シャーペンの芯を落としたら9(ここの)つに割れ、本の朗読に当てられるのも9番目。なにかと、9という数字がワタシの身に付きまとう。『キュー・ピース』というコミックをもらったのだけどいきなり9巻だったり9匹のゴキブリに襲われたり一日に9人の男性から告白されたからといって人生に大きな影響はない。
 だから思う。9がどうしたの? と。
 ところがここに来て変化が訪れた。
 ワタシの身に降りかかる数字が、8に変化したのだ。
 曇ったガラスに浮かぶ8という数字。八匹の蜂に追われ近所の犬に襲われそうになった。ちなみにこの犬の名はハチ。クラスメイトから小説をもらった、タイトルは『アハト』。意味を調べると、ドイツ語で8だった。
 さすがに気味が悪くなった。友達に相談しても、そんなの気のせいよ、だとか、今年は受験なんだからしっかりしなさい、やら、マンガの読みすぎよ、などとまともに取り合ってくれない。そこで白羽の矢が立ったのが、逸司(いつじ)だった。
 彼は読書家でかなりの博識(はくしき)。それなのにもてない。何故なら、爆発した花火のような髪形で、なおかつ間の抜けたような顔をしているから。もちろん会話など交わしたことなんかないし、彼が異性と会話をしているところも見たことがない。だからだろうか、ワタシが不思議な出来事を話すと、彼は間抜けそうな顔をさらに崩して答えた。
「それはとても、不思議な現象だね」
 ちょっと気持ち悪くて、会話を交わすのが苦痛だったけど、続けるしかないと思い頑張った。
「誰も信じてくれないんだよ。ひどいと思わない?」
「映画のような出来事だね。ジム・キャリー主演の《ナンバー23》とか、ああ、でも、カウントダウンだったら、《セブンD》のほうが近いか。どちらも数字の謎を前面に持ってきた映画だよ。一度、見てみるといい」「解決策とかないの?」「ごめん、それはボクにもわからないよ」「数字が《0》になったら何か起こるのかな?」「それも、わからない」
 頼りにならないわね、とワタシは憤慨(ふんがい)すると同時に、先の見えない未来に、恐怖した。

     ○
 あなたは取り返しのつかない過ちを犯したことに後悔していた。何所(どこ)で道を誤ったのか、考えを巡らせるといろいろありすぎて特定できない。ただひとつだけ、これではないのか? と思う節がある。三つ年上のショウゾウという男性との出会いがそうだ。団子のような鼻をしているけどとても思いやりのある人。初めて会ったときは異性として意識はしなかった。だけど数年後、偶然、彼と街で再会し、居酒屋に入りその夜、酒の勢いもあって一夜を共にした。そういう行為が尾を引いたのか、当時付き合っていた恋人と別れ、三度(みたび)ショウゾウと出会い、意気投合し、交際が始まったのだ。それからというもの、あなたは今までに経験したことのない幸福感を味わった。ショウゾウは人生において二人目の恋人、だから、だろうか。若いころの盲目的な恋愛ではなく、自我の確立した恋愛。心から大切に想い、心から愛(いと)おしく思う。この人と、これから先の人生、ともに歩んで行くのだろう、と魂がそう感じていた。
 まだ二十代なのにすべてを悟ったかのような思考。
 それが、すべての過ちだった。ショウゾウを好きになったことが間違いだった。この出会いが、不幸の始まりだった。

 あなたは今ベッドの上。口からは太い管が伸びていて、その先につながれているのはデジタル数字が浮かんでいる四角い機械。コシューコシューと音を立てている。手首には太い針が刺さっていて透明な液体が体内に流れ込んでいる。それから、下腹部からも。

     7
 授業が終わるとワタシは、逸司(いつじ)と会うようになっていた。数字が関連する映画をいろいろと見せてもらった。『π(ぱい)』やら『ケース39』やら『10ミニッツ・アフター』など。今日はカウントダウンだけという理由で『インデペンデンス・デイ』なども見た。ああ、映画ってやっぱり面白いわね~、と伸びをする、って、何リラックスしてるのよ! 意味もなく逸司を殴る。なんで殴るんだよ、とぶつぶつ呟いて彼が言う。
「今のところカウントダウンは《8》で止まってるんだろ?」
「ええそうね。もしかしたらすべて、ワタシの気のせいだったのかな」
「そうかもしれないけれど、油断は禁物だよ。もう少し様子を見たほうがいい」
 彼の言葉を聞いてワタシは悩んだ。今は《8》という数字で止まっているけどあいかわらずこの身に付きまとっているのだ。何気なくテレビをつけるとドラマが第八話だったり、父親が借りてきたDVDが『ハチ公物語』だったりして、もううんざり。だけど、8という数字がただ単に連続で眼の前に現われているだけで、偶然でしかないのかもしれない。意識しすぎなのかもしれない。ただの自意識過剰? まあいいわ。いくら考えても答えは出ないのだから。
「未来に飛んで先の人生を見てみたいわ」
「ははは」逸司は鼻で笑って答えた。「時空を飛ぶなんて無理だよ。大人気テレビドラマのヒーローズとかガイ・ピアース主演のタイムマシンとかの見すぎだよ」
 どっちも見てません!
 怒りを露(あらわ)にするワタシにかまわず逸司は続ける。
「肉体は、時間という概念(がいねん)に捕らわれている。先へ行けば朽ちるし、さかのぼれば若輩化(じゃくはいか)する。映画のようにはいかないよ」
 冗談をまじめに返されてなんだか情けない。それを払拭するようにワタシは言った。
「とにかく、もうカウントダウンは止まっているんだから、あまり気にしないようにするわ。これからは日常生活に専念する。こんなことで高校生活を棒にふるなんてあり得ないもんね」
「そのほうがいいよ。あ、そうだ」何かを閃いたように、逸司が立ちあがった。
「今日も家まで送るけど、ちょっとだけ回り道をしよう」
 ちょっとだけ、と言ったのに四十分も歩かされた。辺りはもう真っ暗。風が強く吹いている。背の低い木々が揺れている。それもそのはず、ここは海を見下ろす崖(がけ)の上。ああ、絶景かな、などと感動している場合ではなくてワタシは逸司に詰め寄る。
「こんなところに連れて来ていったい何をしようというの?」
「これを、見せたかったんだ」
 そう言って逸司は上空を指さした。
 彼に促(うなが)されて見上げる。
 低い空。すぐ眼の前にある無数の星たち。網膜(もうまく)に飛び込んでくるまばゆい光。視界を埋め尽くす光と闇のコントラスト。宇宙を、間近に、感じた。
 涙を流しそうになっているとき、逸司が静かに語りかけた。
「気のせいとかじゃあ、ないかもしれない」
 え? と驚いた顔を彼に向けると、
「北斗七星だ」
 カウントダウンが、再開、された。

     ○
 大人の男と女、過去は関係ない。それが常識だろう。と、『セックス・アンド・ザ・シティ』で言っていたけどそれは一般論であってすべての人に当てはまるとはいえない。何故ならば、あなたは過去に怒り、過去を悔(く)いていた。歴史に刻まれた出来事は、未来に消せない傷跡を残す。記憶もまた、あなたの内(なか)に異物として永遠に残る。
 潔癖症(けっぺきしょう)気味だったショウゾウはだから許せなかった。酔った勢いであなたは他の男性に唇を許した。その現場を見られたのだ。だけどあなたは『許した』のではなく『奪われた』と主張した。大なり小なり人はみなウソをつく。たまたま《大》のほうが発覚しただけ。しかしウソは存在を知られると真実になる。バレた以上、修復するには謝るしかない。あなたはひたすら謝った。ごめんなさいごめんなさい。あなたは理由も述べた。ウソをついた理由は、ずっと好きでいてほしかったからなの。ごめんなさいごめんなさい。あなたは約束もした。もう二度とウソはつかないから。ごめんなさいごめんなさい。
 しかしショウゾウの怒りは度を逸し、あなたの人生に悲劇を刻み込んだ。

『殴られたりバカにされたり振られたりケガをさせられたり、いろいろと負の行動、現象があるけど、俺は、裏切られるのが一番許せないんだ! 何故、ウソをつく! お前を信じて、ずっと信じて、最初で最後の結婚式を、と考えて、いっしょに相談とかしたのに、俺はなんてマヌケなんだ。恥ずかしくて死にたいよ。他の人は、そんなことくらいで、なんで怒るんだよ、と言うかもしれない。でも俺は許せないんだ。他の仕打ちは俺にとってどうでもいい。だけど、裏切りだけは、ダメなんだ! 正直に話してほしかった。酔った勢いでキスをしてしまったの、と素直に言ってほしかった。ウソで隠してほしくなかった』

 あなたは風を全身で受けていた。足元でいくつもの小さな光が交錯(こうさく)し、いろんな音が飛翔している。この位置だと、空が近い。雲が眼と鼻の先でゆったりと流れている。あなたは両手を広げ、すべてを吸収した。これが、世界。これが、あなたが生きた世界。もう、触れることも見ることも感じることもできなくなるのだから、すべてをこの一瞬で味わおう、残すことなく吟味しよう、そう思い、しばらくの間五感を研ぎ澄ませた。
 それから数分だろうか、十数分も経っただろうか――
 あなたはおもむろに、虚空(こくう)に向かって足を踏み出した。

     6
 数字は姿を変え、また、趣向(しゅこう)を凝(こ)らし、ワタシに襲いかかってきた。
 数字にはどんな意志が宿っているのだろうか。何を成(な)そうとしているのだろうか。
 真相にたどり着くには、ただ静かにカウントを続けさせてゼロになるのを待つしかない。
 どうすることも出来ない無力感がワタシを支配していた。だけど、逸司(いつじ)は違った。いつもと変わらない態度でワタシと接する。でもそれが嬉しかったりする。心を、軽くしてくれる。
「ゼロまでは何も起こらないし無事だということだよ。あはは」
 あははじゃないわよ! と憤慨(ふんがい)したけどそれも一理ある、と同時に思った。ゼロになるまではカウントダウンが続くということ。ゼロまでは奇妙なことがずっと起こるとしてもカウントは続けられる。すなわち、それまでに対策を練り、解決策を見つければいい。数字はまだ《7》。焦る必要はない。悲観することもない。
 ある日の放課後、逸司が、今日は図書館に行こうと言いだした。断る理由もないからついて行く。平日の夕方なので、学生が多い。いろいろな制服姿が入り混じっている。
 館内には、紙のすれる音と咳ばらい、ヒーリング系の音楽が邪魔することなく流れている。そんな図書館はきらい。周りに気を使うのが面倒くさい。
 落ち着かないワタシの態度に気づいたのか、逸司は急ぎ足で、目的の本を持ってきてくれた。
「予言関係の書と、映画『π(ぱい)』が神の数字なら悪魔の数字もあるかなと思ってこういうのも見つけたよ」と言って、カオス理論やら獣の数字やら不思議な数のお話しやらパラサイト・カウンティングといった胡散(うさん)臭い本までいろいろ眼の前に置いた。
 はいはい、読みますわよ。
 閉店の音楽が流れ始めたころ、ようやくすべての本を読み終えた。といっても、目次をはじめに開き、関係がなさそうなページはスルー。実質的には本の三分の一程度しか読んでいないのだけど。そして収穫は――。
「参考になりそうなことなんてぜんぜんないじゃないの!」
 周りの視線が一点に集中して、ワタシは顔を伏せた。
 帰り道、逸司はずっと黙っていた。最後に怒鳴ったことを根に持っているのだろうか。彼は自分の時間を犠牲にしてワタシのために動いているのだからもっと感謝しなくてはいけないし認めてあげなければならないのにごめんなさい。でもその謝辞(しゃじ)は、口から飛び出すことはなかった。
 いつものようにワタシの家の前まで送ってくれて、それじゃあ明日、と逸司が背を向けた。ワタシは彼を止めてありがとうと言いたかったけど、先ほど同様、言葉が詰まってしまった。いったいどうしてしまったのかしら。今までこんなことはなかったのに。彼に対して思ったことはすぐに口に出来たのに、こんなことは初めて。訳がわからないことばかりがワタシの身の周りで起こっている。
 ふと気がつくと、逸司が歩を止めている。その顔に浮かぶのは優しい微笑み。
「どうしたのよ」と訊(き)くと、
「いや、まあ、なんというか……」
「髪の毛がいつもより爆発してるんだから早く帰ってお風呂に入りなさい。今のあんた、まるでビッグバンよ」
「えっと、なんとかして、君の身を守るから。うん。ただそれだけ。また明日ね」
 その日の夜、ワタシの脳裏に逸司の言葉がこだまし、しばらく眠れなかった。

     ○
 ハッと我を取り戻したあなたは、不思議な現象を体験したことに驚愕(きょうがく)していた。
 先ほどの過去の出来事は、【思い出した】のではなく、【追体験(ついたいけん)】したのだ。
 そしてその現象の謎を解くカギは、もうすでに【知っている】はずだ、と思い至った。
 だけど肉体にはいくつもの管が刺さっている。ベッドの上で寝ている、寝かされている。身動き一つできない。指の一本すら動かすことはできない。呼吸も自分の意思では困難。
 これが現実。死を待つだけの残りの人生。逃れられない未来。
 あなたは泣いた。涙も出ず、声も出せず、泣いた。
 しかしその嗚咽(おえつ)の隙間に、ある真相が姿を現そうとしていることに、うっすらと、しかしはっきりと、気づいていた。

     6
 普通、カウントダウンというものは、3あたりから盛り上がりを見せるものなのだけど、ワタシの身に降りかかっている現象は、お約束を破るのが好きなようだった。
 逸司の家までのちょうど中間あたりに、小さな公園がある。砂場と池とブランコとベンチがあるだけの小さな公園。通るたびに、池の横を通るのだけど、この日は通過する直前、思わず歩を止めてしまった。
 無数にうごめくオタマジャクシが路上に這い上がり、ワタシたちに向って前進していたのだ。灰色の路面を、真っ黒に塗り変えている。地面がウネウネと波打っている。異常極まりない現象に眼を見張って動けずにいると、ワタシはあることに気づいた。
「見て!」とオタマジャクシを指差し逸司にむかって叫んだ。「カウントが、6になった」
 尾を左右に振るオタマジャクシたち。姿そのものが、数字の《6》だったのだ。
 逸司がワタシの手を取り駆けだす。
「もう家から出るな」と、振り返らずに彼が言う。
「そんなこと言ったって、学校はどうするのよ?」
「命のほうが大事だろ」
「それはそうだけど」と言葉を詰まらせるワタシの眼に、また《6》が飛び込んできた。
 それは、車のナンバー・プレート。
 数字は、66‐66。
 次の瞬間、闇が訪れ、どこかでブツリという音が、響いた。

     ○
 泣き崩れたあとにやってくるすべてを洗い流したという開放感。しかしそれは絶望を受け入れた訳ではないとあなたは知っている。秘密に気づいたのだ。いや、秘密というより摂理(せつり)。すべての理(ことわり)。
【生命は生まれ子を産み血を残し朽ちて行く】
その流れは永遠に続く。
 子を産めなくなったあなたにとっても、この輪廻(りんね)は当てはまる。
 しかしそれは、形を変えて……。

     5
「よかった」
 一面が白に包まれていた。この【白】に慣れるのに、時間がかかった。一分? 五分? わからない。だけど、「よかった」という言葉が、ワタシをパニックに陥るのを防いでくれた。と同時に、逸司の声だと理解した。
「病院?」
「そうだよ。今まで君のお父さんとお母さんがいたんだけど、もう少し待っていればよかったのにね」
「事故?」
「峠は越えたみたいだからもう安心だよ」
「夢を見たの」
「アニメ『アキラ』のセリフ?」
「違うわよ。未来の夢よ。薄暗いところでワタシは泣いていた。でも拘束されていて動くことも逃げることも出来なかった。ただ泣くことしか出来なかった。泣いて泣いて泣きまくって、やがて光に包まれた。すると不思議なことにワタシの身体はいつの間にか解放されていて、動けるようになっていたの。もちろん光へ向かって進んだ。とても明るかったわ。はじめは眼が慣れていなくて何も見えなかったのだけど、徐々に慣れてきて、誰かが座っていることに気づいた。近づいてよく見ようと思ったら、パリン。何かを踏んだの」
「何を?」
「わからない。夢はそこで終わり」
 なんだそれ? という表情で逸司はワタシを見下ろしていた。笑いをこらえながら、変な顔の彼に言った。
「ありがとう」このありがとうにはいろいろ込めたつもりだ。

 退院して数日後、診察のため病院へ。担当医の話しを聞き、ワタシは泣いた。命を取り留めたのだけど、命を生み出すことは出来なくなっていたからだ。

 正月、逸司の家に行った。彼には母親がいないので大変だろうと思いお手伝いをした。料理の準備に片付けや、接待……はなかったけど忙しかった。逸司の親族はぞろぞろやってくる。めまいがした。少しだけ手があいたとき、外に出て風に当たった。そのとき、名前は忘れたけど従兄の男性が隣にやってきた。
 事故とともに、カウントダウンも吹き飛ばされたのだろうか。6という数字も、つづきの5も出てこなくなっている。あのカウントダウンはいったいなんだったのだろう。
けっきょく謎は解かれることなく消滅した。
学校を卒業しアパレル関係の仕事に就(つ)き、それから逸司と婚約。式の当日、ワタシはどうしても隠し通せなくて、このままではいけないと思って、なんでも正直に話さなくてはと考えて、未来を信じて、逸司に自分の秘密を告白した。

     ○
 肉体は、時間という概念に捕らわれている。
 あなたは気づいていた。何故、首を動かすことも、眼を開けることも出来ないし、肉体に感覚もないのに、病院のベッドの上で生命維持装置につながれていることを知りえたのかを。あなたは、開けられるはずのない瞼(まぶた)に力を入れる。苦もなく開く。
 あなたはあなたを見下ろしている。あなたはワタシ。ワタシ。ワタシはあなた。
 あなたはただの肉体。

     4
『正直に話してほしくなかった。ウソを突き通せばそれが真実になる。発覚しなければウソは消滅する。子供が産めない身体というのは、ショックは大きいけど乗り越えられると考えていた。だけどボクは、浮気だけは許せないんだ。よりによって従兄と? もう、知ってしまった以上、忘れることは出来ない。なかったことにして、今まで通りに君と過ごすことは出来ない。これからの人生を歩むことは出来ない』
 ワタシはウェディング・ドレスを身にまとったまま、ひとり取り残された。
 逸司(いつじ)、待って! と叫ぼうとしたとき、ふと脳裏によぎった。
 ああ、カウントダウンは続けられているのだ、と。
 だから、《5(いつ)》《4(じ)》の名前を呼ぶことが出来なかった。

     ○
 意識だけなら過去へ飛ぶことが出来る。肉体の邪魔がなければ可能。予言の謎、過去視の真相。過去へ戻り過去のワタシに伝えなければならないそれが使命。ではどうすればいい? 逸司との交際に口出しする? そんなことをしても盲目なあなたが信じるはずがない。だから気づかせるしかないのだ。過去のあなたは《カウントダウン》の存在に気づいた。詳細はよく覚えていないけれど、《気づいた》というのは覚えている。今度は、もっと早く気づかさなければ。手遅れになる前に。今のワタシのようになる前に。未来(今)を変えるために。
 その前にどうしてもやらなくてはならないことがある。
 あなたはイメージした。慣れ親しんだ家屋。部屋の匂い。ベッドの柔らかさ。エアコンの立てる音。白い壁にかけられているH・R・ギーガーの絵画。時間が止まり、空間が固形化した。あなたは、扉を、開ける。

 リビングでショウゾウは携帯電話で誰かと会話をしている。
「二郎(じろう)兄さんと一夫(かずお)兄さんがこっちに来るって?」
 カウントダウンはまだ続いていた。長い年月を経て、カウントダウンは開始された。過去を変えて未来を明るくする? 甘い考えだった。いったい、この数字の謎はなんなのか。何故、こうも執拗に襲ってくるのか。
ショウゾウの名は、正三と書く。

 ショックを隠しきれず、あなたは外に出た。真上に位置しているというのに、陰りを見せている太陽を不思議に思い、あなたは見上げる。意識体に暑さは感じられない。そして、裸眼(らがん)で太陽を直視することが出来た。そのとき、カウントダウンが終わったことに、あなたは気づいた。
 はるか上空に、金色と黒の《0(ぜろ)》が浮かんでいたのだ。
 過去は変えられるのか、未来を変えられるのか、カウントダウンの意味は何なのか、すべての謎を、このとき悟った。
 数字には起点と終点がある。ところが、《0》には無い、ということに。
 8ではダメなのだ。交差するときルートを変えられるから。
 だからカウントは、《0》まで続けられたのだ。
 この【0】が、人生の意味だったのだと。

                                       了




Posted by BBあんり at 18:12│Comments(0)輪獄(りんごく)
 
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