2013年01月24日

歯 完結編

     歯 完結編

 宛先:立樹早苗代(たちのぎさなよ)
 件名:悟っちゃったかも

 両親の手紙を発見して、とってもびっくり。弟にも教えようと思ったんだけど、あいつったら、部屋からまったく出てこないのよ。ガチガチ、ガチガチと音がするから部屋にいるのはわかってるんだけど、返事もしないし、ワタシだけじゃ心細いから早苗代にメールしたの。ああもう、ガチガチガチガチうるさい。実は、お母さんと同じようにワタシたちも産まれたときからすでに歯が生えていたらしいの。思うに、一族の業(ごう)が、引き継がれているのかもしれない。歯の存在意義……小さいころからずっとそのことに捕らわれていたのだけど、やっと、何故、そのような無意味とも取れることに執着(しゅうちゃく)していたのか、わかったわ。成長を助けるのは栄養を吸収しやすいように細かくしてくれる歯。防御にも使われたりして守ってくれる歯。歯の起源(きげん)は、魚の先祖の皮膚が変化したもの。形を変え質と用途を変え今に至る。エナメル質に覆われた歯にこうも翻弄(ほんろう)されている人間って、きっとワタシたち姉弟だけじゃないかしら。生後六か月ごろから生え始める乳歯なのに、産まれたときから永久歯を持っていたワタシと弟。この連鎖を止めるにはどうすればいいのか、それをワタシは考えているの。もしもワタシが子供をもうけたら、その子もまた歯が生えているのかしら。ま、わからないけどね。こうやってワタシは何事もなく二十二の歳を迎えたわけだけど、それはたまたま運がよかっただけかもしれない。弟はどうか知らないけれど、少なくとも人生を左右させる事件には遭遇していない。だから悲観するほどじゃない。歯の呪に憑かれているとは言っても、早急に対策を練らなくても大丈夫。だけど、と同時にワタシは思うの。これから先は、何が起こるかわからない。だから手をこまねいて見ているだけじゃダメ。策を講(こう)じなければならない。そのために《歯》の本質を見抜かなければならない。銃は相手を撃つためだけの、破壊するだけの存在。ハサミや包丁やのこぎりは相手を切り刻むための存在。ハンマーは相手を砕くための存在。じゃあ、《歯》の存在理由は何かしら。人間が物を食べやすくなるために切り刻み細かくしすりつぶす。本当にそれだけかしら。もうひとつあったわね、歯を食いしばり、痛みを和らげてくれる。でもそれだけかしら。それらはただの形式でしかないと思う。あ。ひとつ思い出した。さっきワタシが書いた文章、そうそう、『歯に翻弄されている人間』……何気なく使った言葉なんだけど、これって実は本質をとらえていないかしら。お父さんの手紙にもあったわ。歯の欲望、願望、渇望……それってなに? そこで考えたの。食欲を満たしたいという伝達は脳が行う。じゃあ、脳はその情報を何所から得たのかしら。それはエネルギーを吸収したいという胃や肉体と、それと、それと――《歯》からだと思う。噛み切るために産まれてきた歯。噛みちぎるために産まれてきた歯。噛みつぶすかめに産まれてきた歯。歯は自分の存在理由のために脳へと信号を送る。何か食べ物がほしい、と。一般的に人々は肉体や内臓の欲求のために動く。だけどワタシたち一族は、歯の欲求が強く現れるのかもしれない。肉体や内臓の渇望(かつぼう)よりも歯の願望を強く感じる。それは脳髄をも超越している。理性を破壊し、歯の言いなりになってしまう。それがワタシたちの性(さが)。ああもうガチガチうるさい。歯を全部抜いちゃおうかしら。まあそれは冗談なんだけど。それでも、その帰結を意識することによって抑制できると、ワタシは思う。お父さんもお母さんも歯を意識しながらその本質に眼を向けなかったから悲劇を迎えた、とワタシは思う。この考えを、今もガチガチと音を立てている弟に伝えなければ。負けないように忠告しなければ。手遅れになる前に。長々とゴメンね。またメールするから。

 宛先:立樹早苗代
 件名:ゴメンね

 連絡出来なくてゴメンね。弟が発狂して歯を一本残らずペンチで抜いて身を投げて死んで、今になってやっと落ち着いてきた。落ち着いたと云っても、平常に戻ったわけではないのだけど、メール出来るくらいには回復した。弟は弟なりに、自分の身の上に起こっている不可思議な謎が気になっていたのね。どんな悲劇が彼の身に降りかかっていたのか、ワタシにはもう知る術はない。おそらく、ワタシが打ち明けた『因果』に耐えきれず、死を選んだ、のかもしれない。それほど弟が追い込まれていたなんて、気づいてやれなかったワタシのミス。唯一の肉親、血をわけた姉弟なのに、本当に情けないわ。あまりにも情けなくて、ワタシはご飯が喉を通らなくなっているの。歯は食べ物を欲している。その願いを脳に送っている。歯の従僕である脳髄はワタシの自我に訴えている。早くご飯を食べなさい、と。ワタシは従うのが怖い。そこで折れると、取り返しがつかない気がするの。おそらく弟も同じ悩みを抱えていたんじゃないかしら。だから歯を破壊した。きっとそう。何故なら、ワタシも自分の歯を壊してしまいたい衝動と闘っているのだから。それにしても、恐ろしいことがあるの。とても、恐ろしいことが。ゴメンね、こんなネガティブで。久しぶりのメールだから疲れちゃった。なんか謝ってばっかり、ゴメンね。また連絡する。

 宛先:立樹早苗代
 件名:止まらないの

 もう一か月以上、飲み物でしか栄養を摂取していない。だって、噛み砕く、噛み切る、すりつぶす、という行為がどうしても出来ないのだから。この誘惑、きっと他の人には理解できない。《歯》の欲。細胞の隅々、それから心まで、歯が欲していることを欲している。ああ、気が狂いそう。でも負けないからね。呪いを解く方法を見つけ出すから。病院かな、それとも霊能者? まあいいわ。明日から行動を起こすから。良い結果を期待しててね。でもとりあえず、今夜を乗り越えなくちゃ。ただでさえまいっているのに、これ以上ワタシを苦しめないで。どうしてこんな仕打ちをするの! ガチガチ、ガチガチ。うるさい。

 弟が隣の部屋でガチガチガチガチガチガチうるさいのよ!

 宛先:立樹早苗代
 件名:全部ワタシの思い込み

 昨日は取り乱してしまってゴメンね。弟が死んで、初めて彼の部屋に入ったんだけど、何もなかった。誰もいなかった。日記や手紙、メールの類を探したんだけど、弟は記録を残していなかった。それから、ガチガチの正体もわかった。とっても単純で簡単でバカみたい。笑うしかないわね。そこで問題です。ガチガチは何所から聞こえていたでしょうか。ヒントは《姉弟》。答えはまた次回。というのはウソ。実はね、ワタシが発していた音だったの。ワタシの歯が物欲しそうにガチガチガチガチしていたの。それからね、歯って、ひとつじゃないよね。十本以上あるよね。だからどういうことが起こったと思う?《歯》は、隣にいる《歯》、下や上にいる《歯》を攻撃していた。ワタシが何も口にしないからこういうことになったのね。ガチガチガチガチうるさいのよ。鼓膜はガチガチがこだましている。ガチガチしか見えない。ガチガチしか感じない。耐えられなくなったからワタシ、どうしたと思う? 弟と同じよ。なにからなにまで弟と同じ行動を取ったの。《歯》を全部、ペンチでつかみ、ひねり、引っ張り、一本残らず、抜いたの。その後も《同じ行動を取った》。永久歯だからもう生えてこないわ。もう安心。もう安全。心配ないと思っていたのだけどけっきょく一族の呪からは逃れられなかったの何故なら歯はまた生えて来たのよそれも普通じゃなくて強固になって生えて来てしかもとがっているのハハハ。ワタシはモノを摂取しなかったわよね。《歯》は、だからなの、だから、とがって生えてきたの。その目的は、『突き刺す』ということ。歯は新しい道を作った。突き刺すということは文字通り物質を突き刺すの。ワタシが嫌いな噛み切ったり噛みちぎったり噛み砕いたりしなくていいの。突き刺すの。
 針のようにとがった歯は、二本。

 ねえ早苗代ちゃん、今からそっちに行っていい?
 愚痴(ぐち)はさんざん聞いてもらったから、暗い話はおしまい。楽しい会話をしましょう?
 ワタシたち家族の呪は断ち切られたから安心して。
 もう大丈夫よ。よかったよかった。

 差出人:立樹早苗代
 Re:今日はもう遅いから今度にしましょう

 そんなこと言わないで、この新しい歯は本当に奇麗なんだから。早苗代ちゃんもきっと気に入るわ。最初に見せたいのは早苗代ちゃんなの。中学からの付き合いだものね。だから、ね。見てちょうだい。
 断っても無駄よ。
 だってもう、窓の外に、来ているから。




                                     歯 了




 
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